仁城義勝・逸景
仁城さんから手渡されたプロフィールには、この言葉が書いてありました。
「命と心の糧。いただくに事足りる粗々として器に出会えたらと思う。特別なことを表現するのではなく、ごくあたりまえの樹と人の命。人間と器の用。用の内なる掌。その関係性とつながりの原風景を訪ねる旅の中、器としての姿に出会えることを願って。」お話の中からも「事足りる」という言葉が何度となく聞かれました。その言葉が仁城さんの器の全てを物語っているように思います。
漆器は一般的に木地師と塗師とに分かれた分業制がとられていますが、仁城さんは全てを息子の逸景さんとお二人で行っています。木材を5年の年月をかけて乾燥させ、その年に使う木材を選びます。年の始まりに全国各地の取り扱い店から翌年1年分の注文を受けるので、お椀や皿、御重や小物など木目や木の状態そして、より無駄のない木取りができるよう、注文と木材を照らし合わしながら考え抜かれた後に木取りがされます。お二人で作れる数は年間3000個が限度。夏には漆を塗り上げ、乾燥を待って冬前に完成します。自然から頂いた樹木を頂いたのだから、無駄のないように全てを使いきります。
漆塗りは、木を器として使いやすいように木を保護し、より長く使えるための塗装として漆が塗られます。漆器というと、下地づくりの方法のひとつとして本堅地と呼ばれる地の粉とよばれる粘土や火山灰を焼いて粉末にしたものや、砥の粉とよばれる砥石を切り出す際にでる石を粉末にしたものを水と練り合わせて生漆と混ぜ、道具をつかい下地として木肌を埋めながら木地に塗る方法がありますが、仁城さん親子の器にはその工程がありません。溜塗と呼ばれる下塗り、中塗り、上塗りと器を3回塗る工程で木肌を整えますが、それは木肌を埋めるという概念とは違うように見受けられます。樹木は木肌があるのはあたりまえ。それを器にし、より長く使えるようにある程度目を整えながら漆を塗る。まさに「事足りる」の精神が、そのシンプルでいて自然の恵みに感謝し、逆らわずといったものづくりに繋がっている気がします。
口数の少ないお二人ですが、師匠の義勝さんからは、後継者となる息子さん逸景さんへの強い想いを。弟子であり息子の逸景さんからは父であり師匠の義勝さんへの尊敬の念が会話の所々から感じられます。物作りはお二人でされますが、形作りはそれぞれ別々に行い、どの器が義勝さん逸景さんのものかわかるようになっています。すでに10年以上師匠のもとで器づくりをしている逸景さんは、全国各地すでに単独で個展を行っています。師匠のお椀は、刳りが広くお椀の内側の平らな部分が広いのが特徴ですが、逸景さんの器はその義勝さんのものと比べると狭いため、横から見た印象も異なります。義勝さんは息子さんの器を見て「私のより色気があると言われるんですよ」とおっしゃっていました。どちらが良い悪いではなく、それは個性と作り手の嗜好ですが、とてもいい関係で師弟関係になる前からお互いを個として尊重していたのだろうという印象を受けました。それは、仁城さんの奥様とご自宅を拝見しても感じられました。アーティストである奥様が描く絵がご自宅兼工房にかけられ、調度品のセンスや空間の使い方はとても驚きでした。グラスヒュッテの故 舩木倭帆さんの手吹きガラスや大皿などが空間と調和しながら飾られ、大広間となる場所は時折ミュージシャンが集まりコンサートが開催されるそうです。義勝さん、奥様、逸景さんご家族は関係が個としてオープンな心でお互いを尊重しながら、師匠や親への尊敬の念があるとても素晴らしい親子のバランス関係でした。それは、畑の野菜についての話。家まで降りてくる動物たちの話。ものづくりの話と話はつきませんでしたが、全てが繋がっていてそこに器作りがあるという印象でした。
仁城親子が作る器は、手に取ると吸い付くように手に収まり、木のぬくもりを感じると言われています。
仁城さんが作られた漆器の取り扱い方には、このように書かれています。
「あまり難しく考えなくていいと思います。目安としては、ご自身の手と同じ程度にいたわってやることだと思います。例えば、ザラザラしたたわしでは、ご自身で不快感を覚えるように、器たちも同じです。無難な方法としては、アクリル毛糸で編みこんだタワシを使い、湯洗いして(手に無理のない温度で)やるといいと思います。洗剤を使わなくても油分まできれいにとれます。洗った後、乾いた布巾でふいてやれば大丈夫です。」
素材が木なのかどうかわからない漆器にしてしまうのではなく、木の恩恵を頂くことを前提とした漆器といったらいいでしょうか。長年使い込んだ仁城さんの器は、塗り直しもして下さいます。末長くお使いいただけたらと思います。
ニュースレター
ニュースレターを購読:
略歴